多重思考の展開

ゆるーく綴るばらばらな思考の断片たち。

Science Fiction の本質、または未来志向のファンタジー

SFはずいぶんと昔に流行ったのち、何回かの小さなブームを経つつも、

出版業界の縮小と共に衰退を続けている。

 

結論から言えば、SFの本質は単なるファンタジーだ。

19世紀末から20世紀初頭の「科学万能論」に対する人々の希望を、

つまり科学技術による未来の人類の発展を、

ファンタジーの形に落とし込んだのがSFだ。

 

SFに関する論説を私は知らないので、私の語る内容が、

主流なのか傍流かのかわからないが、

まず、ファンタジーの定義から始めよう。

ファンタジーとは、虚構の世界によって、現代社会の問題を暴き出す文学と定義する。

良い例がゲド戦記だし、十二国記だ。

十二国記は、あまりに単純化・虚構化されすぎていて、

最初読んだとき、作者は手抜きしすぎなんじゃないかと思った。

解説文や賞賛では、「精緻に作られた世界」と言われたりするけど…

現実の世界を知っていると、複雑さが足りず、効率はいいが崩壊も速い世界だろう。

 

それはともかく、「虚構の世界だ」と認識させられることで、

現実のしがらみや常識を取り払った状態で社会秩序や人間関係を見ることになる。

そして、現代を相対化し、外部化するのがファンタジーだ。

 

ロード・オブ・ザ・リングや、その他有名なファンタジーを例に出すまでもなく、

ファンタジーの世界は通常、現代社会よりも「遅れた文明」を持つ。

すなわち、人類が過去にそこで生活していたような、今よりプリミティブな世界だ。

ただし、そこには人間より優れた種や、魔法などの超常が存在することが多い。

 

この過去志向のファンタジーを、未来志向に置き換えたのが、

SFである。

今までの経緯からSFというジャンルになっているが、

これは今ではすごく狭い範囲の文学を差しているだろう。

むしろ、ラノベだったり、ゲームだったりの舞台設定は、

半分程度はSFと呼んで差し支えない。

しかし、SFのファンや作家は、そうした文化をSFととらえていないはず。

新しい潮流を取り入れないところには、衰退が待っているだけだ。

その意味でSFという単語には手垢がつきすぎた(=悪いイメージがつきすぎた)感がある。

また、これだけSFの概念が拡散していると、当たり前すぎてジャンルにならない気もする。

"SFファン"はこうした現状をどう見るのだろうか。

(私の知っている著名人では東浩紀さんしかSFを語る人を知らないが、どちらかと言えば、上記の論議に従うならば、この人も懐古的なSF側だと感じる。まぁ、小松左京さんやその時代のSFを乱読したとのことなので、好きな分しかたないとも言えるのかもですが)

 

つまり、SFとは、科学的な虚構(虚偽には未来に達成しうる科学技術)を用いて、

現代社会の本質を暴き出す文学と言えるだろう。