多重思考の展開

ゆるーく綴るばらばらな思考の断片たち。

劇じゃなくて人形劇

浄瑠璃などでは、わざわざ一体の人形を3人で動かす。

 

それだけの労力を使うなら、人間が演じた方が早いのではないか。

 

わざわざ人形を使う理由は抽象性だろう。

人が演じると、役にその役者の人間性が加わる。

個性の排除だ。

 

また、人形は劇が終わってもそこに存在する。

操者は移り変わっても、いつまでも変わらず。

 

劇の本質が物語の伝達とするなら、

物語とは事実の抽象化である以上、

余計な個性を排除することが、ある意味では本質に近づく。