多重思考の展開

ゆるーく綴るばらばらな思考の断片たち。

ワーズインフォレスト

殺し合いをしなければ、その代わりのことをする、それが人間というもの。
他の方法で、殺すのと同じ目に遭わせる。
いっそのこと、ばっさりと斬られた方がましというもの。
暴力が振るえないから、他の方法でもっとひどい目に遭わせることはよくあるよね。

 

仏像というのは、仏様ではありません。これは単なる人形です。
ただ、拝む人の心には、これが仏に映るのです。
信仰の本質は、自身の仏性や神性を引き出すことにあると思う。

 

いい奴と一緒だと、認めてもらえる。悪い奴と一緒だと、追い払われる。人との関係性も、「その人」の人間性の一部なんだろう。良くも悪くも。

 

理屈だけでは、形になりません。形がなければ、ものが動きません。
動かさなければ、勝てません。
理屈だけ考えて生きていければどんなに楽しいだろう。覚悟が定まってないから、エピキュロスやディオゲネスのようには生きられない。

 

最初は(※死体の)残酷な姿、異様な臭気に怖ろしさを感じたが、そのうちに、怖ろしいと感じる気持ちに理由がないこともわかった。
解剖とか最高にイヤな作業だが、よく考えれば恐怖に明確な理由はない。内蔵は私の身体に詰まっているものだし、それを否定するのは自分を否定するに近い。

 

ああいったものが存在するということを知るだけで、これまでの自分とは既にまったく違う。
人間は生きているかぎり、別人になれる。
生きている人間に価値があるのではない。その変化にこそ、価値があるのだ。
死んだ者は、もう変わらない。
偉人伝を読んだり、成功した人に会う効能の一つがこれだと思う。「変化(=加速度)」も価値があるとは思うが、存在していることを含む「動き(=速度)があること」だけでも十分価値があるとも思う。

 

人の欲望というのは、自分で勝手に築いた妄想に対して抱くもの。
じつの価値などないことに気付かない。気付かないもの同士が争うのです。
人間は現実を見ているようで、意識・無意識を通した幻影をみているんだよね。

 

森博嗣 ボイド・シェイパ、ブラッド・スクーパ より