多重思考の展開

ゆるーく綴るばらばらな思考の断片たち。

ダブルラリアット 歌詞一部改

 

 

半径85センチがこの手の届く距離
今から手をつなぎますのでここにいてください


   キミといる事が嬉しかった このままでいたかった
   動くなって立ち止まったら 笑い方を忘れていた
      周りの仲間達が楽しそうにキミと笑い合うのを
      仕方ないと一言つぶやいて諦めたフリをしていた
半径5200センチはこの声の届く距離
今から話しかけ回りますので待っていてください


   から回る事も楽しかったこのままでいたかった
   から回る事を続けていたら報われると信じていた
      周りの仲間達は自分より高く進んでいた
      下から眺めるのは首が痛いと拗ねたフリをしていた
半径300メートルはこの歌の届く距離
今ならできる気がしますので聞いていてください


   どうでしょう?昔の自分が見たら褒めてくれるかな?
   手が震えて脚もすくむけど
      23.4度傾いて眺めた街並みは
      いつの間にか見た事のない色に染まっていた
半径6300キロはこの手の届く距離
いつの日か届かしますので待っていてください

半径85センチがこの手の届く距離
いつの日か歩き疲れた時は側にいてください     

 

 

うーん、陳腐。一貫性がなくなってるし。

人の振り見て我が振り直してよ

このブログを読んでいたが、安楽椅子探偵のつもりなのだろうか。
個人のつぶやきといったらそこまでだが、傲慢さがひどい。
鋭い指摘もある一方で、断定的すぎる部分も見え隠れする。

Openブログ  捏造の論議は無駄
http://openblog.meblog.biz/article/22107905.html

以下引用
 一部の人は次のように主張する。
 「日常用語では捏造には当たらないだろうが、科学の世界では過失によるものでも捏造に当たる。ゆえに今回の例は捏造である!」
 こんなことを主張する人は、頭があまりにも非科学的すぎる。
 言葉については、「科学の世界の言葉だけが真実であり、日常用語の世界の言葉は真実ではない」ということはない。それはただの思い上がりである。それは「言葉は定義しだいだ」ということを理解できていない、唯我独尊の発送だ。

 実は、これと似たことを主張する人は、ときどきいる。
 「生物種は学名で呼ぶのが正しい。日常用語で呼ぶのは間違っている!」
 これによって、次のように主張する。
  ・ 「桜」は「サクラ」とカタカナで書くべきだ。
  ・ 「虎」は「トラ」とカタカナで書くべきだ。
 しかし、このような主張は馬鹿げている。日常用語では日常用語として漢字を使うことに何の差し支えもない。学名がカタカナだからといって、「カタカナだけが正しい」ということにはならない。
 要するに、「学者の正式の用語だけが真実だ」ということはない。そんな主張は、学者の思い上がりだ。
引用終

彼女が何者かこの人は知らないのだろうか。
プロの研究者として出した論文に、剽窃や加工、捏造があった。
当然、科学の世界の倫理で裁かれるべきだ。

世間的に見れば、彼女のしたことはあそこまで糾弾されることではないのだろう。
誰も「自分の使っている用語法だけが正しい」とは思っていないはず。
研究者が研究者を裁く。
そのときに、あの行為は捏造であり、科学界では重大な罪だった。
それだけのことだ。


以下引用
 なのに、批判者はそこを勘違いしている。
 「STAP細胞の論文がデタラメだから、STAP細胞は存在しない!」
 「画像の加工は捏造だから、加工の前の画像は存在しない!」
 「画像の取り違えは捏造だから、取り違えをしていない画像は存在しない!」
 これはあまりにもひどい論理の飛躍だ。非科学的すぎる。たとえれば、こういう感じだ。
 「あいつは嘘つきだ。ゆえに、あいつの語ることのすべてについて、その逆が真実だ! あいつが『地球は丸い』と主張したなら、『地球は平らだ』というのが真実なのだ!」
 馬鹿馬鹿しすぎる。気違いじみている。

 とにかく、次の二つはまったく異なるのだ。
 「それが真実だとは言えない」
 「それは虚偽である」(= それの否定が真実である)
 なのに、この二つを混同しているのが、批判者だ。
中略
ここで「捏造があったか否か」をいくら論議しても、何らかの真実が判明するわけではない。
引用終

これも間違いだ。
もちろん、論理的には現在も「STAP細胞はあるかないか分からない」。
これはおそらく批判者も分かっていること。
だが、前提をわきまえて欲しい。
「酸性処理や圧力処理で分化細胞が初期化する」ーーー
これは本来ありえないというのが生物学のコンセンサスだった。
小保方氏らが論文で発表したのはその事実を覆す(=科学的に証明した)論文だ。

これまで無いと考えられてきたものを、有ると証明した論文。
しかしその論文は空虚だった。
その帰結は、これまでどおり「本来ありえないよね」。
もちろん、科学者は「あるかないか証明されてないけどほぼ無い」と考えている。
でも、小保方氏が「私はあると信じています!」といって、
みんなが「そうかもしれないよね」って思うから強調しているんだよ。

以下引用
 [ 余談 ]
 小保方さんよりもひどいのが、東大の教授たちだ。ほとんどお笑いのような暴言を吐いている。
 まずは、上昌広・東大特任教授。
https://twitter.com/KamiMasahiro/statuses/453795697733943296


まるで小学生のような幼稚な計算。1回終了するまで次の実験ができないわけじゃない。毎日1回ずつ実験できるだろうに。次の図のように。

      月火水木金土日月火水木金土
  実験1 ■■■■■■■
  実験2  ■■■■■■■
  実験3   ■■■■■■■
  実験4    ■■■■■■■
  実験5     ■■■■■■■
  実験6      ■■■■■■■
  実験7       ■■■■■■■

 こういうふうに実験をすれば、「 200回の実験をするのには、207日あれば足りる」とわかるはずだ。
引用終

これは、納得のいく話とそうでない話がある。
まず、「東大の教授」がひどい、というのはこの人の単なる嫉妬だろう。
自分が社会的に評価されない仕事をしているのかもしれないね。
人をまとめすぎ。
小保方氏がどうしようもない科学者だからといって、
早稲田出身者や理研所属者がみんなどうしようもないと言うのと同じくらい、程度の低い話。
また、確かに各実験ごとにずらして行えば7工程の場合207日で足りるが、
これは生産現場で用いられる効率化手法の話であり、研究の話ではない。
すでに各工程で安定の結果が出ることが判明している場合にのみ使える方法だ。

彼女が行っているのは研究であり、仮に7工程あった場合、
どれか1工程は条件を変えて行う必要がある。
また、材料となる細胞はシャーレごと、オリジンごとにロット(ばらつき)があるので、
初期条件を揃えるため上記のように順序よく流れ作業はできないはず。

 

つまり、細胞準備などのように、実験1が終わらないと実験2に移れない(並列化できない)作業がどこかにあるし、どこかの工程は新しい条件を試すためにフィードバックを行う必要がある。つまり、ある工程の結果が出ないと、2回めの同じ工程ができないということが起こりうる。

さらに言えば、「200回成功した」というとき、
ある偶然(コンタミでも良い)の1回で、96ウェルプレート4枚全部でできたということだったらどうだろうか。
確かに200回成功しているが、元をたどれば正確には1回となる。

「小学生でも分かることなのに…」って人格攻撃じゃないのかな。 
このブログの著者にも言ってあげたい。
小学生でも分かることなのに…w



まぁ、「こんなことで騒ぐのは、時間の無駄。」というのは同感です。
これだけのミスが同時に起こる、というのは確率的にどの程度だろうか、
このブログの著者は計算が得意そうなので計算してもらいたいものだけど。


穿った見方をすれば、小保方氏が適当に並べたデータのうち、
笹井氏が「編集」して出したから、両者ともに「未必の故意」なのではないかと思う。
小保方氏は、分かっていながらも研究成果を求められるから曖昧にしつつそれっぽいものを出した。
笹井氏はオリジンをきちんと確認せず、頭に描く論文構成に必要な図を入れるよう指示した。
こんなところなのではないだろうか。
もしそうなら、悪意ある行為だけどね。


とにかく、この作者の、「自分が絶対に正しい」と叫んでいるような自己主張の激しいブログが気持ち悪かったです。


弱ったところに押し込む

小保方さん:2011年早大博士論文取り下げの意向

http://mainichi.jp/select/news/m20140316k0000m040030000c.html

 

こういう流れになるとはな・・・

指導教官から、勧告があったのだろうか。

早稲田大学から却下するには、大学と教員にダメージを与える危険が高すぎる。

(一度受け付けて許可を与えたのに、チェック体制が不十分だった証明)

小保方氏が自分で取り下げれば、そういったことはない。

 

大人の(汚い?)論理だなぁ。。。

小保方事件の顛末

泰山鳴動して鼠一匹。

 

科学的な観点から言えば、

それがこの事件の本質を表していると思う。

STAP細胞は、それが実証されていれば、

成長した細胞が自然的な処理で可逆的に戻るという、

科学史上に残る大発見だった。

もちろん、この時点でもまだ実在が否定されたわけではない。

だけど、科学的には論文の根拠が否定されており、

実在は非常に疑わしい、というのが大方の見方だろう。

 

博士論文の画像が出てくるまでは、

小保方氏らの行いが非常に杜撰であると判断されていたものの、

「科学的真実」にまだ希望があった。

だから多くの識者が熱い議論を戦わせていた。

 

博士論文の画像、そしてイントロの剽窃。

これは意図的に行われたことだろうし、

学位に対する侮辱でもある。

博士が多くなるということはこういうことでもあるけど、

博士論文に関しては、指導教員と審査した教授たちに責任がある。

こんな論文を通さなければいいだけだからだ。

 

学位を持っている一人として、

あの3年間(5年間)の自分の苦労に照らして、

彼女の行いに侮辱されたと感じる。

どうでもいい人に大事にされたいか

こんな議論がありました。

http://togetter.com/li/639123 

女性の人権を尊重したら、女性に優しくしたら、「草食男子」と見下されモテない

 

「人権尊重/優しくする → モテる/モテない」という命題は、

議論の中身と比べると非常に乱暴で、

ただスキャンダラスにしたいまとめ人の主観ですが、

この議論にはそれに関連して大事な視点が含まれていたと思います。

 

この議論の紛糾具合ははっきりいって、

口火を切った赤木さん?という人の言い方が悪いと思うのだが、

この人の意見を完結に述べるとこんな感じになるでしょう。

(私の曲解も少し入っているかも)

 

「モテる、ということは、その人が異性に対して高い魅力、

もしくは価値をもっているということです。

だけど、女性側は、“女性の人権”を大事にする男性

(女性への暴力をしないことや、

性的な話題やセクハラに関わることを避けるような)を、

性的な魅力が高い人とは捉えていない」

 

まぁ、ツッコミどころはたくさんあります。

異性としては魅力がなくても、人としては好きになるかもだし、

「女性への暴力を忌避することや、性的な話題を避ける」ことが“女性の人権”を尊重することになるのか?

という点など。

 

けれど、概念というものは、互いが尊重しあうことで意味を持ちます。

啓蒙思想発展期やフランス革命以前の時代には、

「人権」や「自由」という概念がありませんでした(少なくとも明確には)。

だからこそ人身売買(奴隷)が許されるなど、

今で言う人権侵害の事例には事欠かないような世界でした。

その時代のヨーロッパ人や日本人に私達の常識を説いたとしても、

例えば日本人がいきなり中東に放り出された以上の文化的断絶を感じるでしょう。

 

上で言うような「“女性の人権”を尊重」というのは、

明らかに女性に対するメリットです。

(悲しいこととして、そもそもこれはなされて当然のことなのだけど、

実際に女性への暴力も、性的な被害もなくなってはいない)

これだけそういった行動を違法にしても罰してもなくならないのは、

生物として男にそういう傾向性があるからでしょう。

なのに、男性側がひどく苦労をして自制を行っている中で、

女性側がそういった労力にちっとも価値を見出さないという現状。

ここがこの議論の大事なところですね。

 

あとの方で、赤木氏が

https://twitter.com/T_akagi/status/441673274649358336

「図らずとも、これは彼女(彼)たちにとっての「ジェンダー」が、相手にぶつけるための武器であって、決して人権概念ではないということを、如実に表している。」

と言っていますが、"自称フェミニスト"の方は、

自分の権利/利益拡大のためにフェミニズムを扱っているのではなく、

異物排除の道具(臭いオッサンだったり傲慢なオヤジだったり)に使っているという考察も間違ってないように思います。

 

一方で、女性が「優しい」男性を尊重しないのは当然で、

男性がそんな苦労しているなんて女性には(身体的に)理解できないですからね~。

 

**************

 

https://twitter.com/koba31okm/status/441721825060343808

「女ならかなりブスでもパッとしない男に優しくすればかなりモテるから逆というのはないんですよね。男女は非対称なのよ。」

「女性が優しい」というのは、家庭に入ってもらう上で非常に重視されることですしね。

 

→ここでその対応を取るなら、「男性に稼ぐ力がある」ことになるでしょう。

現実に、それならブサイク/ブスでも結婚相手として魅力がアップしてそう。

 

https://twitter.com/koba31okm/status/441605702675480576

「女はDQNが好き」という命題が偽であっても、「キモオタが女性に優しかろうと厳しかろうとDQNよりもモテない」というのは偽ではないよね。つまり、「そういうこと言ってるからモテないんだよw」というのは偽

https://twitter.com/koba31okm/status/441606437035204608

「俺たちは女性を尊重するインセンティブを与えられていない。」という彼らの感覚は別に間違ってはいない。DQNうんぬんはあんまり関係ないかもしれないけどね。

 

そうそう、「そういうこと言ってるからモテないんだよw」というのは侮蔑の言葉であって議論ではないですよね。「女性に優しい」ということが、男性にとっ てメリットに乏しい行動になっても、女性側はいいのか?と思います。そもそもの話として、男女ともにある一定以下の見た目の方は異性としての視野に入って いない可能性があるという悲しい現実がありますが。

ズルいなぁ

やると言っていたことをやらないで、

ずるずると先延ばしにしていたH氏。

 

どうもここ1ヶ月ほど動きが鈍いとは思っていたけど。

 

私も準備を促すなど、動くのが遅かったと思う。

だけどやると言っていたことをやってくれると思っていたから、対応が遅れた。

いけないね、これもある種の依存か。

 

私の視点はものすごく狭い。

自分の興味あるところしか見ていないとも言える。

人を見るときに、その人の感情の動きとなる身体表現を無視している。

もっと、人に興味を持たなければならないだろうか。